わかるということ
人間を、見た目・表情・何を成したか等の評価・力の強さ…等々
「見えるもの」で判断するのは
とても危険だと思います。
人のこころは深いです。
そして、理解することは、不可能です。
どんなに踏ん張っても、命懸けになっても
果たして1%も理解できているでしょうか。
私は、否だと思う。
私は、無力です。
わかりたいと願う相手の方について
わからないけれど
全身全霊でわかろうと努力すること
そこに、意味があると思う。
原発事故で避難されておられる方々の支援を
行っていたことがあります。
ある夜、真っ暗な中、仮設所の誰にも見つからないよう
私の車が停めてある所までおいでになり
車の中で、お話を伺っていた際に、
私が「わかりたいとどれだけ思っても、どうしてもわかりません。」
と申し上げたら、その方がこうおっしゃられました。
「初めてわかって頂いた気がします」と。
聴き手が、どれだけ真摯に相手の立場に立とうと努力し
努力すればするほど、わからない事実に
無力感を感じながらも、わかろうとし続ける。
その姿勢が大切なのだと思います。

「飯塚康代の心の世界を風景で表現してみました」