お会いしている方に育てられるということ

私が、臨床心理士になる前、東京で、河合隼雄先生も二代目を努められた、臨床心理学を学ぶ研究所に通っておりました。

福島に来るまでに、何百、何千と言う時間を学びと育ちに、費やして参りました。

その時、慈母のように感じた、こころから慕い、私のような未熟者を、慈しんでいただいた先生がおられました。

その方に、私のカウンセリングをお願いしました。
しかし「飯塚には、この方のほうが相性が合うと思うから」と言う理由で

先の文章でお話しした、亡くなられた私にとっての、真のカウンセラーとなる方を、紹介してくださいました。

その慈母のような方は、その時、まだ、42歳の若さで、私は24歳でした。

なのに、すでに重責を担われており、
様々な学会、日本臨床心理士会等々の常任理事をなさっており
後に、東京都臨床心理士会 会長もされ、
とても有能で素敵な、おこころの深い、女性の方でした。

なのに、一緒に道を歩きながらお話ししていると、こうおっしゃるのです。

「経験を積めば積むほど、山は高くなり、辛くて辛くて仕方ないのよ。
それで、やっとの思いで越えたと思ったら、
もっとさらに高い山が聳え立っているの。
それが、延々と無限に続くのよ」と。

私は、おっしゃっている意味が、全くわかりませんでした。

ずっと ずっと、24歳から、ご尊敬申し上げ、福島に移住してきてからも、
毎年、欠かさず、お手紙やお葉書、年賀状等を出させていただいておりました。

今回、福島カウンセリングセンターについて、ご報告のお手紙をさせていただいたところ、
お葉書にて、おこころのこもったメッセージをいただき、とても喜んでくださいました。

なぜなら、毎年 毎年、ずっと、「期待しております」の一言を、送り続けてくださっていたからです。

私が、「重責」に負けてしまっていることを、案じられ、奮起させようとなさっていることは、重々、承知しておりました。

それは

私の書斎の机に、お写真を遺影として置かせていただいている、
未来を託してくださった、河合隼雄先生の、
私あてへの遺言でもあり、

私が臨床心理学を学ばせていただいた
時々、お食事までご馳走していただいた、
私のカウンセラーの、恩師に当たる先生

箱庭や遊戯療法の権威であられる先生、
臨床動作法の生みの親の先生、
日本に論理療法を導入された先生

本当に多くの先生方からの期待に、
永年、応えて来なかったから
応えられなかったから。

できなかったのです。
だって、私は「無力」ですから。

日々、たくさんの方々にお会いします。
でも、何度も 何度も、書いてきましたが、
私は、お会いしている方について「わかった」と思ったことなど、一度もないのです。

昨日、映画、劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~南海ミッション』を、
久々に、時間が取れたので、真一と二人で観てきました。

その中で、あり得ないほどの活躍をしていた、
医師役を演じられていた鈴木亮平さんが、
「あまりに無力だ」とおっしゃる場面がありました。

私は、「同じだ」と、思いました。

私の個人開業の所 や、(新規受付不可)
NPO法人、福島県ひきこもり支援センターで、初回の見立ての面談などを行っていた時、

様々な支援機関に、繋げさせていただく生業もしていました。

その方 ご本人や、ご家族、等々の皆さまにとって、本来の在りようを、見いだせる支援機関を見付けたかったから。

医療、行政、福祉、教育、司法、救急、等々の専門職の皆さまと共に、
命懸けで、命や人生、ご家族を守ろうとしてきたから

福島中を回りました。
時には、茨城県、栃木県、宮城県、山形県、東京都、埼玉県、、、
たくさんの都道府県と、連携共働させていただくことも、ありました。

わからないことだらけでした。
失礼なことを、たくさんして参りました。
後悔しかないことを、たくさん たくさん、 してきてしまいました。

一生、忘れ得ないと思う、申し訳なさは、たぶん、墓場まで持っていくと思います。

多くの方から、感謝していただきました。
でも、本当にしょっちゅう、「無力感」「絶望感」「徒労感」「虚無感」「罪悪感」「自己否定」「一体、私に何ができたんだろう」「何ができるんだろう」等などに、さいなまれる日々。

「私に、何かできることはあるんだろうか」と思いながら、今も、日々を過ごしています。

「わかる」なんて、あり得ないです。

いのちは、魂なるものは、本当に 本当に、深く広く、広大、深遠、深淵、そのものです。
わかればわかるほど、わからなくなります。

お会いしている皆さまに、学ばせていただき、救われている日々なのです。

慈しみを、いたわりを、あたたかさを、思いやりを、共感を、いのちを、

言葉にしつくしがたいほどの、たくさんの宝物をいただき、学ばせてもらう日々です。

だからこそ、どんなに辛くても、心理を辞めたいと、思ったことがないのだと思います。

そういえば、先の映画でも、鈴木亮平さんが、同じセリフをおっしゃっておられました。

いのち と、向き合うと言うことは、そういう事なのだと、
真摯に向き合おうとすると、どなたでも そうなるのだと、納得しました。

これからも、私どものでき得る限り、いのち と、向き合って参りたいと思います。

そして、これからを担う若手スタッフや、
私たち年配の心理でも、

未熟ながら、必死に、お会いする方々の、お一人お一人を、わかろうと努力し、

だけど、挫折、絶望、無力、虚無感、空虚感 、罪悪感、等などに、打ちのめされ、

失礼や無礼を繰り返し、時にはお会いする皆さまを、傷つけてしまうこともあることと存じます。

時には、心理を辞めようと思うほどになっても、

叱って、怒って、本音をぶつけてやってください。

本気で、対話し、対峙してください。

どうか、それらの積み重ねでしか、人は育たないのだと言うことを、学ばせてやってください。

何卒、よろしくお願い申し上げます。